会社が流されても必ず再建する。
だから社員は一人も切らない。
八木澤商店
河野通洋さん(岩手県陸前高田市)
陸前高田に創業200余年の歴史を刻んできた老舗の醤油醸造蔵。東日本大震災の津波ですべてを流されながらも、会社と町の復興に熱い思いと力を注ぐ若き社長。
少しずつ復活をとげて再び造られ始めた醤油や味噌とともに、語られる言葉ひとつひとつが“生きる”という希望に満ちていた。
裏手の高台から、津波に流される
一部始終を見つめた3月11日
高台にある小さな神社の境内から陸前高田の市街地が見渡せた。荒野のようにすっかり様相を変えてしまった町には、2011年の年の瀬を迎えても未だ行き交うトラックや-ブルドーザーの音しか響いていない。瓦礫の山の彼方に広がる冬の海。陽光にきらめく海は、人々の営みを呑み込んだことなど皆無だったかのように穏やかさをたたえている。
神社の真下に視線を落とすと、廃虚となったコンクリートの建物がポツンと建ち、その壁に「ヤマセン醤油」の青い文字が読み取れた。3月11日のあの日あの時、従業員たちは会社の裏手の諏訪神社に上って避難し、そこから津波に流される町と八木澤商店の一部始終を見つめていた。
「津波警報はすぐに解除されると思っていたし、まさか、本当にあれほどの津波が来るとは思わず、みんな作業着のままでした。まさに、あっという間の出来事。築200年の蔵や店舗も見事なくらいサァーと流れていきましたよ」と、その時をふり返り語る八木澤商店九代目社長の河野通洋さん。蔵や製造工場すべてを失い、消防団員で営業課長だったスタッフを亡くし、自らも含めて多くの従業員たちが自宅や家族を失ったという。かろうじて形を残した先のコンクリートの建物は醤油原料処理工場だったもので、それだけが唯一、そこに八木澤商店があったことを教えてくれている。在りし日の写真を見せてもらうと、ナマコ壁が美しい豪壮な佇まいに思わずため息が出た。東西に延びる前の通りは陸前高田と一関を結ぶ今泉街道。八木澤商店のあった地域は今泉町と呼ばれ、古くから醤油や酒など醸造業が盛んな歴史深い町だった。
八木澤商店の創業は文化4年(1807)。最初は酒造業として出発し、第二次大戦後に味噌と醤油製造を手がけるようになる。岩手県産を中心に国産の丸大豆、小麦、米など材料にこだわり、添加物を使わず昔ながらの丁寧な仕込みが信条。豊かな香りと色、旨味に定評のあった八木澤商店の製品は地元を中心に、料理人や料理店など全国にも多くのファンがいた。
新社長に就任してまずは社員の雇用を守るために奔走
震災後は避難所を経て知り合いの自動車学校の事務所に一時期間借り。先代で会長の河野和義さんは、変わり果てた会社の状況から、“廃業”の2文字を口にしたこともあったが、息子であり現社長の通洋さんはそのことを断固として許さなかった。実は、通洋さんはこの震災を機に新社長に就任。八木澤商店の新しい歴史を創り出すためのバトンタッチだったという。
「会社が流されても倒産はさせない。必ず再建する。だから社員は一人も切らない。会社も町も復興する!」新任社長は、そう言い切った。まずは雇用を守ることに奔走した通洋さん。雇用調整助成金を得るため金融機関を駆け回る日々。行動力を後押ししていたのは、「誰一人として辞めさせない」という熱い思いだったのだ。
そして多くの人の支援や全国からの心づかいも大きな支えとなり、5月2日には一関市大東町摺沢へ仮事務所をオープン。奇しくも今泉街道に面したプレハブの事務所に、江戸時代より続いてきた八木澤商店は復活の第一歩を踏み出した。現在、4月からの新入社員2人を含め震災前とほぼ同人数の39名が在職。本格的な製品造りに向けて着々と動き始めている。
第一段階として、11月から一関市花泉町の食品会社に釜を持ち込み、仲間でもある同業の醤油を八木澤のレシピで醸造。また、いくつかの商品は県内をはじめ、秋田、宮城、新潟などの醸造蔵にて委託製造している。国産材料へのこだわりは以前と同様に、醤油、ポン酢、つゆ、味噌などが現在の主要製品。ネット販売を中心に少しずつ需要に対応できるようになってきた。なかには国産丸大豆醤油『ゆっくりねのんびりと』や、味付けポン酢柚子とつゆに命名された『君がいないと困る』といった粋で心和むネーミングの商品も。味わう楽しみがつきないラインナップだ。
「今後は大東町にある廃校の小学校を更地にして、そこに新たに会社と製造工場を造る予定。今年の秋には完成して仕込みに入れるよう動いています。それから、実は流されて全滅かと思っていた我が蔵のもろみ・乳酸菌が、以前、研究用にと東京農大にサンプルが持ち込まれていたことがわかり、今、盛岡の岩手県工業技術センターにて培養を進めているんですよ」満面の笑みでそう語る通洋さん。まさに八木澤商店の醤油や味噌の完全復活への足がかりになるうれしいニュース。それぞれの蔵に棲み着く微生物こそが、連綿と続く歴史とともに育まれた独自の製品造りには欠かせないのである。
何も無くなってしまったからこそ新しい産業の種を蒔く
極限の状況下からここまで引っ張り上げてきた九代目の情熱と行動力。それは自社の復活だけに留まらず、町全体の復興への取り組みへとつながり、その活動は講演活動や陸前高田のコミュニティーカンパニーとして立ち上げた『なつかしい未来創造株式会社』などにも広がっている。若い人たちを中心に誰もが働け、地域資源の特性を生かした産業復興を地域主体で創造していくことなどが基本コンセプト。さまざまな試みで人を、町を、そして東北を日本を元気にしたいという熱い思い。
「何も無くなってしまった町だからこそ、新しい産業の種を蒔かなくては......」
それは、八木澤商店が掲げている再生のキーワード、「生きる、共に暮らしを守る、人間らしく魅力的に」という、シンプルかつ力強い理念にも通じている。